DONOVAN

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TIMELY SONGS OF DONOVAN ANTI SDGS

2024/03/19 (Tue) 07:15:31

COMPILATIONS OF GREAT TIMELY SONGS OF DONOVAN

1. POKE AT THE POPE
2. THE HEIGTHS OF ALMA
3. ALAMO
4, LITTLE TIN SOLDIER
5. RIKI TIKI TAVI
6. NEUTRON
7. THE BLAME GAME
8 .NO MAN'S LAND
9 COMIN' TO YOU
10.THE BUNGALOW

すべて聴きなおしましが、演奏ボーカルともに良くTHE BLAME GAME の 僕の好きな近年のNEIL YOUNGスタイルに改めて乗ってしまいます。

以上

桜玉吉 ANTI SDGS

2024/03/19 (Tue) 05:06:02

今朝の朝焼けはとりわけ美しいものでした。
僕は深夜便が代表作ともいえる桜玉吉のファンです。どの程度のファンかと言うと決して多いとは言えない彼の作品集のほとんどを購入しており今でもそれを手元に置いている程度で、なにわ金融道を全巻購入しても場所をとるということもあって早々と捨ててしまったのとは違うようです。

彼は自身の顔を公表しておらずグラサン姿で自転車にまたがった比較的長身と思われる姿を遠くから撮影した写真しかありません。 小さなブームの後に創作活動は控えめなものになったのですが背景には精神的問題があったようで自身「漫画を描くことが原因」と語っており自身の身の回りのことを題材にするようになったのはつげ義春と共通するところです。

彼は一時自宅近くの漫画喫茶に連泊することに快適さを感じていたようで彼のこの行動は時代の先をいっているうように思えた頃のことです。自身が集めたフィギュアや音楽ソフトを売って処分する様子も漫画に描かれておりその処分品の絵の中に僕も好きな比較的マイナーなレゲエDJのジャケがあったことに改めて自分が彼の作品に親近感を覚える原因を認識したようです。彼はまたオーディオ好きで海外の高級製品を「頭のおかしい海外ブランド」と表現していたセンスには感心しました。以前長期に渡ってオーデイォについてここで書いていたので御存知の方もいると思いますが僕は一時海外高級品に夢中になったいたことがあり確かにその実力は高いのですがコスパが悪く「頭のおかしい」というのは言われて嬉しいところでした。
彼はその後確か伊豆の辺鄙なところに移り今でも週刊誌に形だけとも言える作品を連載しているようです。

ところで水木と義春の作品に共通しているのはマンガの色彩の無い表現を誇張していることが木版画を連想させるところです。
渋谷のタワーレコードには洋書に混じって米国のコミックを扱っているコーナーがあってそれらの表紙だけでも興味をそそるものがあってそれなりに購入していたのですがそのなかでもCHARLES BURNSの怪奇的なものは大型の豪華本で拡大されて紹介されるに足るアート系のものでしたがこれもコントラストの強い表現で木版画を思わせるもので僕の趣味に合っています。

考えてみれば太平洋戦争以前から米国はコミック大国でポパイ、スーパーマン等に始り今は実写で堀りおこしたマーベルがあるのですが70年頃には廃れてしまったという表現があたっているようです。日本のコミックはその表現にウォーホールがとりあげるようなアート的要素が少なくジブリのものにしてもその絵にはオリジナリティーが見られず体裁を整えたこととストーリー感覚に違いがあることで受け入れられた感があります

水木しげる/つげ義春(2)ショパン他 ANTI SDGS

2024/03/18 (Mon) 04:53:27

最近、エイリアン、プロメテウスさらにはリンチ監督のデューンに至までカットされていたシーンやそれを加え繋げたものがYOUTUBEで数多く観られるのですが、どうもこれはロック等のアウトテイクスと同様にアルバムに集録されなかった理由が納得できるものがほとんどなのと同様につまらないものばかりです。音楽の場合は集録されなかったトラックが他のトラックの印象に近かったり同曲の別テイクは比較して明らかに劣るもので結果としてスター達の価値そのものが聴くものの心のなかで下落することになります。

さて自分の投稿したものに影響されてなのかショパンの定番とも言われているルービンシュタインのRCAに残した11CD-CHOPIN COLLECTIONを久々に引っ張り出して聴くことになりました。強音に鍵盤を叩きつけるようなところやちょっと難があるなと感じられる部分もあるのですが、作品の演奏者の技術力を確かめるようなところや比較的簡単な音の組み立てと主メロディーを中心とした大衆音楽的な要素に物足りなさを感じるのは自分だけでは無い様でその為なのかショパンの一人の演奏者による作品を集大成したものは意外に少なく、人気演奏者にしても一部だけの演奏に留まっているのはそのような彼の作品の限界があってのことのようです。ソロ作品の数がそれなりに多く演奏技術を競う合うコンクールに適した作曲家として片づけることも可能ですが彼の装飾的で演奏技術を誇示させるうような部分にも意味を持たせることが出来るかどうかということが演奏者にとっての正念場で又聴くものとしての醍醐味だという気持ちを新たにしたものです

ところでこれはあくまで僕の場合なのですが水木しげるはつげ義春の作画からの影響であのようなマンガを描いていたのだとの感覚があって今回それを検証してみようと思いネットで彼等の画像とそれらの出版年をネットで検索してみたのです。

まず水木の1960年の幽霊家族のコマをみてその既に完成された彼のスタイルに驚き又これに限らず初期のものが入念に描かれ惹かれるものを感じました。一方つげの作品を追ってみると1958年のおばけ煙突にはじまり60年代に入っても彼が手塚の流れを汲む表現の作家であって66年の沼には明らかな変化が伺われ68年のネジ式になって少年の描写に固定されたようで、どうやら僕の憶測違いがあったようです。

つげが水木の表現からヒントを受けて成功したことがつげ自信の精神に大きな影響を及ぼしたのではとここで考えるのは彼のエピソードからです。彼は精神的疾患(恐らく鬱病)を70年代に発症したようで製作から距離を置くことになるのですが彼の発言の中に確か「漫画を描くこと自体が自身にとって問題だった」というようなものがあったと僕は記億しており作家の表現自体がその作家自身に与える影響には深刻なものがあるのだなとことあるごとに思いだしていたのです。彼の場合恐らく心の中に水木からの影響で商業的に成功してしまったという概念が深く根を張ってアイデンティティーを失いそれが彼の心のバランスを崩すという一つの解決方向へ向かったのではないかと僕は考えます。

一方でゲゲゲの鬼太郎で成功した後の水木の表現は粗くなりつまらないマスコット表現となってしまった感があり、つげもその後の作風に変化が訪れなかったようなのは残念なことです。

水木しげる/つげ義春(1) ANTI SDGS

2024/03/17 (Sun) 04:30:58

僕はYOUTUBEにアップされた火事や津波などの映像を観ることが好きで特に近年のスマホの画像は鮮明度が高くなっているので、火の燃え移る様子がよく分かるので消火の為の放水の適切性なども考えて何度も見直したりすることもあります。堤防を越える波の映像はやはりCGを超えるもので、どの部分が実際のものと造られたものと違っているのかなどと画面を拡大しながら納得することも多いのですが、CGによる映像の方が本当らしく見えることもあります。

火と水の様子に惹かれるのは少年時代に泥などで自分で堤防を造っても目当てはその堤防が崩壊する様子を見るのが目的だったようで、たき火を身近で眼にする興奮に加えて水をかけて徐々に鎮火する様子を楽しんでいたのと違いはないようです。

水の流れについては洗濯機の蓋を開け放して渦巻きの様子を見ながら洗濯物の汚れの為に泡が消えていくところへ改めて洗剤を追加して様子を伺うのが楽しみでしたがドラム式に代わって洗濯中に蓋を開けることが出来なくなってしまい中の様子もほとんど分からないことになってしまったのは寂しいことです。
ドラム式のものは高価ですが洗浄力が高いのと衣服の痛みが少ないのは確かです。乾燥機能については同じ電気を使用した単体の乾燥機に比較して内部空間が広すぎるので時間と電気代が増えることになるのでほとんど使用することはありません。

以前小泉八雲について書いた時に水木しげるをひき合いに出したのとドラゴンボールの件でつげ義春に言及したのですが2人の作画の共通性について検証してみようと思い画像検索などを行った上での僕の感想を書きます。

以前書いたように僕はそれ程熱心なコミックのファンではなく特に自己流での瞑想体験の後ではマンガを読むことが困難な時期があってそれでも徐々に親しむことができるようにはなったのですがどうも作画を楽しむことが主でストーリーにのめり込むまでには至っていません。 これは近年小説から遠ざかりノンフィクションに関してもその語り口に違和感を覚えるようになってきた結果と似ている僕の中での変化ですが、そのような変化を体験しているのは僕だけではないようでそもそも小説や映画をはじめから受け付けられない人も多い様です。これに関しては実際この様な人が増えているのか、それとも物言わぬ人が話すようになったかは分かりません。ただSNSの誹謗中傷については後者の説明に納得のいくところです。

前書きが長くなってしまったので本題については次の項にまわします。

無題 ANTI SDGS

2024/03/16 (Sat) 07:14:02

スペースワンによるロケットの発射失敗で一番馬鹿を見たのは現地へ赴いた観客達で彼等の指定された見物場所からは爆発の様子が伺えずただ白い煙が多少伺えただけで、地形の問題とロケットの大きさもありますがケープカナベラルでの間近を思わせるショーとは全くの別物です。会社は余程自信が無かったのか事故の危険性が大きいことを考えてあれだけ離れた場所を見学席としたようです。

失敗による会社への損害は保険により回収されるはずなので見物客には多少でも見舞金を払っても良いのではと考えるのですが、一方では自己責任制約に合意したものに限って満足感のある近距離での見学席を用意してもいいのではと思うところです。

そういえば高校時代のクラスに父親が種子島宇宙センターで働いている顔が黒く背の高い男子がいました。その頃は打上げ失敗のニュースばかりでそのたびに皆から冷かされていましたが彼はと言えばたまに父親が帰京しても母親にロケットと同じでダメだと言われていることを話したのはいいのですが当然なことにそれを親などに話す者もいて結果として父兄会で母親だけが夜の家庭事情が漏れていることを知らないことになりそれで更にクラス内で盛り上がったことがあります。

これはまだ笑える話ですが中学の時に母親に手籠めにされた友人が余程辛かったらしく僕や他の友人に「死にたい」とまで漏らしその中の一人は良く出来たもので「いい想いしたんだろ」と慰めるのが多くの者に知られることになりその後母親が僕の母に子供が何故か荒れて困るとこぼしていたのを聞いた時は世の中は恐ろしいところだと思ったものです。

韓国映画 ANTI SDGS

2024/03/16 (Sat) 04:54:44

僕は韓国のTV番組は殆ど観ていないのですが韓国映画については観た後にそれなりの満足感を感じたものがいくつもあります。サスペンスに関しては後半の長尺のカーアクションがつらいところですがそれに関しても他の国のものに比較して出来は良いと感じていますがドラマやホラーにしても玉石混合です。

その中でも成功したものに共通しているのは脚本、カメラ照明、音楽、録音、演技等の統一が取れていることで、これは特に邦画が他国の映画に比較して劣っているところで制作の指揮にあたる人間の現場での作業に対する理解不足が根底にあると思われます。

ところで韓国には徴兵制度があり誰でもグループ内での連携について叩き込まれるのでそれが映画づくりにも功を奏しているのではと推測しています。
パラサイトがアカデミー賞で6部門の受賞を果たしているのに対し日本の作品が技術的部分の受賞に終わるのはこの統合力の欠如によるところが大きいと思われます。ちなみに邦画の低予算については桁違いの出演者に支払われる金額によるところが大きく又労働組合の力が無いに等しいエンタメに携わる者達の労働環境によるものということに加え米国の特に大手の映画製作費は水増しで伝えられることが多く又資金が制作に使用されずマネーロンダリングの場ともなっているようで実際の製作費が低いことは映画そのものからも伺えることです。

パラサイトー半地下については実のところ僕はこれを観ていません。この監督による「吠える犬は噛まない」「殺人の追憶」などは面白く好きなのですが僕がこれをあまり観る気にならないのはこれだけ多くの人が観ているものを自分までもが観る必要性を感じないからだと思います。これは映画に限ったことではないのですがそのように僕が感じるのはやはり瞑想での自分が他の人間と同じであるという実感を体験しているからのようですが、そもそも小学生の頃から成人に至るまでの自分を振り返ると周囲と自分が違うことに多少の戸惑いを感じることがあっても気にかけない性格や環境に恵まれたことにも起因しているようです。

一方で他人の眼や相手の反応を気にし過ぎて本心も言えず体裁だけで道徳心を頼りにした結果として自身と外界との距離が離れている状態は瞑想が不適で何か別の外界からの大きな刺激が必要となっているのではないかと考えています。

不都合な真実(2) 人生100年時代 ANTI SDGS

2024/03/15 (Fri) 04:59:36

年金をいつから受給するのが得かを判断するにあたって重要なのは自身の死亡年齢を予測するすることでいつまで生きたいという希望する死亡年齢での判断では
無い事に気が付かない人もいるようです。

直近の日本人の平均寿命が参考になりますが、81歳といってもこれは男女平均値で男は79歳、女は86歳ですがこれは老人介護施設を訪れたことのある人なら圧倒的に女性の比率が高いことに納得するはずです。
更に日本でも地域別の数値に相当の差があり例えば男性でも長野県は80歳で青森県となると77歳で塩分の多い食生活にも拘らず長野県民が長寿なのは遺伝的なものがあるようで僕の体験から実際この県の高齢者には外見が若い人が多いように思えます。

この平均寿命から青森の男性が75歳からの受給を受けるとすると3年間の受給を受けた後に死亡ということになります。

更にこの平均寿命には迫りくる大地震や噴火、日本での戦争勃発の可能性が高まっていることは反映されていないことを考慮にいれておく必要があります。
またデフレからインフレへの移行に対応した受給率の増加は期待できないので、政府が推奨すよう手元の現金を投資に少しでも回そうと考える向きには前倒しの受給の検討が必要となります。

政府としては「人生100年時代」とか有名人の70代以前の有名人の死をメディアを通じて「早すぎる死」などと扱わせ長寿の可能性をアピールしているのは特にあと倒しの受給開始が財政上有利だからのようです。

それにしても自分と同年配の人間よりも長生きすることに生き甲斐を感じているらしい風潮があるようなのはいやらしいことのように思われることです。

ドラゴンボール ANTI SDGS

2024/03/14 (Thu) 17:09:47

僕はコミックに関してはドオクマンと青木雄二を最後に興味を失いガロに関してはつげ義春と蛭子能収らを紹介した後は廃刊に向かって新人紹介のハードルが相当に下がったようで結果的に彼らの芽を摘んでしまいつまらない作品を垂れ流させるものとなった印象があります。
とは言え僕自身コミックファンと言える程の人間ではなくその作画をアートとして捉えていたところが大きかったようです。

それまで作品に接したことの無い僕が烏山の死の報道をきっかけにドラゴンボールの画像を検索することになったのですが、彼のキャラクターはこれまでの他の同種の作家のアニメに比較してその表情の豊かさだけでも大きく優っておりグローバルな感覚に訴えるものがあることが分かりました。これはもし僕が10代だったら恐らく彼のファンになったに違いないとも思った程です

彼の死を日本のメディアが比較的冷淡に扱っているのは恐らくその中心にいる人々に未だ手塚とその周囲を神のように崇めている者が多く、手塚を差し置いて世界のアイドルとなっている彼に対する反発があるのが原因ではないかと思います。
手塚のジャングル大帝と火の鳥のキャラクタ―表現には少年の僕にもお座なりなところがあると思わせるところがあり、また松本零士のメーテルの作画にについては素人の域のものにしか感じられずどちらも女性を対象に描くのが苦手だったようです。

おもてなしからショパンまで ANTI SDGS

2024/03/13 (Wed) 09:21:10

北海道でのカツカレーなどのぼったくり価格については「おもてなし」と外国人視点のやはり信用ならないキツネ眼の日本人のイメージが重なるのが何ともシュールで久々のヒットという感じで面白いですね。
御徒町の食べ放題といっても決められた盛り合わせのものを片付けてからでないと好きなものを注文できないぼったくりと言われえている寿司屋が最近では大食の外国人来日客に受けている話や、飲み放題も日本人向けとしては儲かるが外国人に来店されると赤字になることなどを耳にすると、そこでの日本人当時者やそれを横目で見る僕等自身にマゾヒズムが多少とも混じったような悲哀というか自身を観るとその姿にそれこそ「ものの哀れ」を感じとってしまうのは僕だけでしょうか?

ところで数多い性的逸脱のなかでマゾヒズムに関して僕は一目置いているところがあります。特にハイヒールで股間を蹴り上げられるのを好む人がその行為の後に味わう耐えがたい痛みにもかかわらず一週間が経過すると又蹴り上げを受けるということを繰り返すうちに皮膚のなかでも一番柔らかい部分が厚い皮に覆われた状態になったのを触らせてもらった人の話をきいた時はその思いをあらたにしたものです。痛みと快感は薄い壁を隔てた感覚だとの認知学からの情報がありますがマゾヒズムには他の逸脱にはない洗練された(SOFITICATED)されたものさえあるようです。

あ!僕ですか?僕は小学生の頃に好みの女子にドッジボールの玉を当てられたくてわざと標的になったことがあるますが特に近年人に自分の性癖を伝えると「ドエス」だと言われます。またどうやら積極的に性的活動を行う人にはマゾ傾向の人が多くエスの人は少ないので重宝されるということがあるようです。

さてショパンについてですが僕はそもそもロマン派の音楽の逸脱性が気に入らないので音の詩人とも言われる彼についてはあまり積極的に聴いてはいませんでした。韓流と言われた映画などでショパンの音楽がイメージのひとつとして定着しCHOPINのノクターンがチョップインのノックダウンなどと遊ばれたことも面白い現象だと思っていたのですが僕にそう思わせたのは彼の音楽の演奏表現には想像以上の糊代があると気付くことになることへの予感があってのことのようにも思われます。数多い演奏の中でもフランソワのものは彼のベートーベンを好まない感覚もあり多くのファンがいましたが先日ここで触れたポゴレッチの演奏はその糊代を大きく広げたようで僕も含め強い印象を受けた人は多いようですがそれもショパンあってのことなので彼にも一目置くことになりました。


不都合な真実(1) ANTI SDGS

2024/03/12 (Tue) 05:50:14

大衆音楽界においてウクライナ戦争についての言及は無いといってもいいようで僕の知る限りでは精々がPINKFLOYDの元メンバーらによるものとDONOVANがHIGHTS OF ALMAをOFFICIAL SITEとYOUTUBEにアップしたものくらいで、彼自身もこの機会にUNIVERSAL SOLDIERを以前のように歌うことをしないというのには皆が戦争についてどの様に発信したらよいのか分からないというところだと思います。

さて3.11から13周年ということですが太平洋戦争に日本が負けてから13年経過した1958年の復興状況とを比較すると雲泥の差があり、現在の日本の国力と技術革新の成果を考慮に入れると復興対策そのものに誤りがあるのではないかと考えてしまいます。

福島県自体が異常なほど東西に長く住民らの意識が海岸沿いの地域と西側の喜多方や郡山とでは別なものとなっており復興対策を県ベースで行うのには無理があるのではないかと思われるのですが、かといって被災地域の自治体を中心にしても住民のエゴイズムが障害となるのでこれは国が地域を指定し国の権限のもと復興政策を進めるべきだったと思います。

例えば沿岸近くの津波被災者達は堤防をさらに高くして同じ場所に住居を構えるよりも高台への移動を期待していたのですが自治体の権限の問題でこれは叶わなかったようです。堤防に関してはそもそも環境破壊の大きな原因の一つで眼に見えるような大きな生物のことしか考えられない人々は生態系に重要な小さな昆虫類の多くが堤防による環境変化の為に絶滅していることに留意すべきです。又堤防を高くしても河川を遡る水量が増加するだけでこれは水を広範囲に渡って逃がすことも踏まえて治水対策全体を見直す必要があるはずなのですがその様な取り組みが行われているという報道は無く観光中心の地域振興中心でメデイアの復興支援も自分達もやっていますというアリバイづくりと人々の感傷に訴えるようなエピソードの紹介に専念しているだけで一方でモニュメント造りに精を出すというのも後ろ向きな姿勢の現れとしか思えません。

沿岸近くを走る第三セクターの三陸鉄道は震災前には利用客の減少で赤字状態だったのですがルートの変更もなく再建させたというのにも展望の甘さが感じられます。


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