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FREE-BLOWINGと越境の限界 MEDITATION

2025/03/28 (Fri) 05:34:41

日本の各方面での孤立性についての最近の海外での危惧感が取り上げられているようですが、日本人に孤立性及び特殊感覚があるとしたらそれを生み出したのはやはり日本の特殊といっていい風土にあるのは間違いないと思います。 

英国諸島は大陸近くにあり日本と似しているとも思える環境下にあるようですが周囲の海流と多少緯度が低い為に日本ほど気候環境に恵まれていないのですが天変地異による難の多くからは逃れています。 一方で日本人にとっては天変地異が身近で日常茶飯事ということが核を投下されたことも同様なものと認知しまた自然の恵みと自然災害の多発が八百万の神そのものであることも明白なことと思われます。

また建築材としての石の供給が困難な為,城にしても土台だけをかろうじて残して簡単に消失してしまい京都や江戸にしても焼け野原からの再出発ということに慣れてしまうところも日本の風土の特殊性があってのようです。
その現実での自然の力の前では政治や宗教の力は弱くこれが平安朝や江戸時代の長期に渡る政権を可能にしただけのことで海外からの圧力がなかったら未だに江戸幕府が健在であったも不思議ではないようです。
野党といっても党名を変えただけの実質は自民系の圧倒的な支配による政治が続けられるのも同様な背景が有史以来存在しているからのようです。

さて僕が最近ジャズを聴き直している一つにはジャズの表現の限界を見極めたいというところがあります。
先日からYUSEF LATEEFについて書きましたが僕がこれまで聴いてきた彼の録音はSAVOY,ATLANTIC,IMPULSEメジャーレーベル中心のものでしたがマイナーレーベルへの多量の録音があることを知りそのCD5枚ほどを安価で入手できました。
彼はオーソドックスなプレイに加えFREE BLOWINGと呼ばれるプレイもするのですがそこでの演奏は他のフリージャズと呼ばれていた連中のものと共通するところが多くこれも多くを聴き続けていると「またか」という気持ちになってしまいます。
60-70年代でこのようなプレイをしていた人もほとどはその表現をやめておりアーチーシェップが晩年スタンダードな表現に向かったり越境した音楽表現に取り組んだところはラティーフも同様です。
残念なのはこの越境した表現というのが彼らに限らず一時的な試みに終わってしまっていることで成果をあげるまでには至らなかったことでそこにはやはり越境の困難さがあるようです。

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