寒山拾得(3) - MEDITATION
2025/05/07 (Wed) 15:06:08
5月5日の寒山拾得(1)の最後で横尾の名前を出しましたがこれについての付記となります。
僕自身は確か日本で初めての彼の個展を銀座のデパートで見ました。その時の僕は特に彼の作品に惹きつけられたことはなく後になって考えてみると作品のコラージュの材料として使われたものの印象が先行しており結局のところそれらの素材紹介に終わってしまっていると感じたからです。
僕は中学の3年からイラストを熱心に描いていた時期があって自分もコラージュという技法を知ってとり入れていたことがあったのですが、それは主に描いたものと印刷されたものの質感の違いを楽しんだり又その技法により思いがけない効果を狙ったりしたのですがこの後者については中々難しいことに気付いて辞めてしまいました。
彼のコラージュは当初海外で注目されたのですがそれも彼らが素材自体の面白さに気づくようになるとその熱は冷めていったようです。
僕が彼に注目するようになったのは60-70年代のヒッピー文化の中でどうやら彼も僕と同様に精神的に価値のあるものを求めていたからで彼のインタビューの中身については当時の流政之、深沢七郎、山岸会などのものと並んで深い興味をもって接していました。
彼は夢日記の体験などについても触れ自身が成功する以前には阿佐ヶ谷のアパートで一日中金を儲けることしか考えていなかった等赤裸に自身を語ることを辞さなかったようです。
そんな彼は寺での瞑想を思い立ったのですがどこでも長続きせず(断られたのか?)ある寺では箒を持たされ掃除をすることを求められたのですが数分後には彼の様子を見で「御前は駄目だ」と断れた事も書き残しています。
彼は石原や三輪らと三島を取り巻く連中に名を連ねることにもなりますがこのことを含め過去とはいえ金への執着を生み出す彼の精神基盤が瞑想に不向きであることと関係があり又写真で見る彼の空ろな目に現れているのではないかとも思いました。
彼は雑誌の人間と共に自身の画集を持ってダリを訪れることになるのですが相手にされず同席したガラ夫人には「ダリに見せるには値しない」などともいわれるのですが宿に向かう車内では「あんな年寄りにはなりたくないものだ」という言葉が出る程彼の不快感は高まったことについてはその雑誌に書かれていることですがこれも彼が瞑想には向いていない性格であることを示しているようです。
(年月が経過してから横尾は「自分はダリのサインを読み取れなかった」と記しています。
その後の彼の言葉で気になったのは彼の年月が経過するに従い自分が程度の高い音楽を聴くように変わったと洩らしたことです。
ところで寺で箒を取り上げられた彼が寒山拾得を描くようになったのですがそこで彼は様々な画風で題材を取り上げているのです。僕は商業デザインを取り上げるに足らないものとは思っていないのですが製作者の自己顕示欲というものはどうも作品から力を奪ってしまうようです。
さてコラージュに話しを戻します。90年代に入って僕は洋書屋で見た海外の新進コラージュ作家の作品を見て軽いショックを受けたのですがそれはちょっと見た目にはその技法の使用が感じられない美しい抽象的な表現を取り入れたものだったのです。やはり美術というものは機会があればできるだけ未知のものに、それも出来れば現物に接するものだとも思いました。(すくなくとも作品の大きさを実感することが大切です)
僕は以前からブロンズ像に関しては日本でのよく見かけるパブリックアートを見るにつけ表現に限界のあるものだと思っていたのですがこれも海外の現代作家のものを知るに至って表現の限界などとんでもないことだと自覚するようになりました。