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寒山拾得(4) MEDITATION

2025/05/08 (Thu) 13:37:15

ちょっと前に怪光現象として家の窓からの送電用の鉄塔や東京湾近くを歩行中の東京タワーの輝く様子について書きましたが、どうやら同様の現象が地方の「山が光る」という言葉で表現される内側から照らされたような美しい姿を見せることがあるということを知りました。

寒山拾得を描いた絵画を改めて見ると横尾のものに限らすそのほとんどが菓子類の包装などをはじめとして商業デザインとしてそのまま使用できる印象があり由緒ありとされるそれらの絵画を背にその説明などをしている坊主などが胡散臭く感じられるのはこの為だと理解しました。

さて昨日の寒山拾得(3)で僕が中学からイラストを熱心に描いていたことを書きました。 コラージュのこととは別に僕はこれを17歳ころまで続けていました。僕は自分が他人にイメージを伝えたいという気持ちから当時聴いていた音楽からの視覚的イメージを中心に気持ちを集中して描いていたのです。

ところが過去にここへ何度も書いてきたことですが17歳の浪人中に確実に自分の表層が皮を剥くように取り去られていき何か自身の感覚の核の様なものに近付いていくのをそのまま放置していた結果どうやら感覚の極致ともいえるような心で感じる強烈な光をこれもそれ以上のもは無いと感じられる至福感を一瞬味わってから変わってしまったのです。

イラストを描くにも自分の伝えたいものは具象とはならないのでこれは当然のことです。 画用紙を前に○や太陽だけを描いていた時期もありましたが、しばらくして僕は禅画と言うものを知りその理解が困難とされる抽象化されたともいえるものに「これだな」と描いた人の心がよくわかった気持になったものです。

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