ジョーンバエズのもたらす驚き
- GREENWASH
2025/07/22 (Tue) 15:00:01
JOAN BAEZの日本での60年代での人気が高かったのは彼女の声の高音に感じるところが多くまたそのレパートリーがフォークギターを手に入れたばかりの多くの人達にコピーしやすいシンプルなものが多かったからのようです。米国メディアの影響が大きかった日本のメディアが彼女の存在を好意的に扱い僕なども何の疑問を無くそれを受け止めていたことは確かなことですが彼女を当時流行していたカレッジフォークと並列させてそれなりに楽しんでいました。
彼女の当初の日本での人気度は中古市場で出回るLPレコードの多量さからも伺われるのですが、WIKIを見ると71年まで続くVANGARD時代のアルバムではFAREWELL
ANGELINAがかろうじで売上10位となっているだけで芳しいセールスとはいえずむしろ英国での好調が伺われるのは面白い現象です。
僕自身VANGARD時代のものを聴くのはちょっと辛いところがあるのですが、A&Mへの移籍でポップスを手掛けるに至って彼女は激変します。
どうやら彼女の意識に大きな変化があったようです。
FROM HERE I COULD STARE DOWN ENTERNITY
LEAVE ALONE AND NOT FELL DESERTED
I'M TIRED OF INTERETING FACES
AND THE DULL ONES MAKE MY WEEP
DON'T ASK ME WHAT MY SIGN IS
INSTANT INTIMACY RUNS CHEAP
(省略)
THE WINDS SCALE OFF THE WHITE CAPS
ANT THE THINGS I LOVE THE MOST
COME WAFTING UP IN MY INTO MY LAP
IN THE COLORS OF GREAT SUNRISE
CHIDREN HOLDING CUPCAKES
WITH PARADISE IN THEIR EYES
これは76年のGULF WINDS収録のSEABIRDSからの引用ですが彼女のそれまでの普段の感覚が過去のものとなり
再生された様子を語っているようです。
同様に収録されているCARUSOは友人がカルーソーのレコードをテープに録音してくれたのですが、
BRRING INFINITY HOME
LET ME EMBRACE IT ONE MORE TIME
MAKE IT THE LILLYS OF THE FIELD
OR CARUSO IN HIS PRIME
そして彼の音楽に関して具体的に語られます
AN MIDST CELLOS, HARPS, FLUGELHORNS
WITH THE PRECISION OF THE HUMMMINGBIRDS'S HEART
WAS THE LORD OF MONARCH OF BUTTERFLIES
ONE-TIME RULER OF THE WORLD OF ART
これは驚きです。彼女の再生された意識下での音楽観がカルーソーの素晴らしさを認識したのかカルーソーによって彼女の音楽観が変化されたのかはわかりません。
彼女の声は誰が聴いてもバエズのものだとわかるという点で恵まれているといえますが決して技巧的に優れているというわけでもなく中音から高音へ至るところには多少違和感を感じさせるところがあります。
それでいてA&M移籍以降の彼女のボーカルが優れているというのは他の楽器に対して自身の声の位置を把握していることでこれは同時期活躍したJONI MICHELLがいくら著名な連中を従えてもバラバラの印象のものになってしまうのとは好対照です。
CARUSOでは彼女は各楽器の名前をあげてまで説明しているのですが彼女自身素晴らしい音楽の意味することをそれなりに実践できたということです。
僕にとって嬉しいのはそういった彼女の感動が詩の内容と音楽から僕の心に乗り移ったのではないかという感覚に襲われることでその意味でこのGULF WINDSは
ベストなのですが92年に発表され2011年にボーナストラックを加えジャケットも変えたPLAY ME BACKWARDSも共演者とのバランスがよくいいですね。
SPRINGSTEEN - GREENWASH
2025/07/20 (Sun) 14:10:45
僕にとってはBRUCE SPRINGSTEENといえばGUN & ROSES,EAGLES, M.JACKSON, PRINCE等と並んで平凡でつまらない音楽を送り出しているだけの存在です。
70年代後半から80年代頃までのポップスに関して「DYLANを聴いているのは学生が中心で若い人でも労働者達が好むのは上記の様な連中の音楽である」という内容の米国からの話を耳にしてちょっと上記の音楽を以前とは違った姿勢で聴くようになったのは確かなことです。DYLANと言えば当時は自身の音楽のポプス化に熱心になっていた時のことでしたがあの内容では対象の意識が60年代とは相当変化していたこともあり仕事帰りのダイナーなどで盛り上がるような連中の心を掴むというのは彼にとっては自身のアイデンティティーの喪失ともなりかねず中途半端な試みとして終わったようです。
さてSPRINGSTEENですが僕は彼の歌謡性の高いところや管楽器の使い方が嫌いで又キーボードがDYLANのLIKE A ROLLING STONEの魅力の要となっているAL KOOPERの二番煎じのようにしか聴こえないのを醜いとさえ感じていました
まあこうなるとBORN TO RUNやBORN IN THE USなどのジャケもゲイ受けを狙ったものではなかと言われる言葉にも同調するようになりました。
ところでBOWIEのベストトラックとしてHEROESを挙げる人が多いようですがそこでのENOのキーボードも同様にALのリサイクルなのですが、こちらはトラック全体の音響効果の良さもあって僕の好きなものの一つです。ところでこの曲の詩の意味がピンと来ないという人が意外に多いようですがこれはHEROをHEROINと読み替えれば納得できるものです。ヘロインでヒローになった気分になれるというだけのBOWIE自身の感覚を歌っただけのものなのですが、トラックの背景の船上での夜間の海の波を思わせる様な雰囲気とあいまって魅力的なものに仕上がっています。
彼の死後この曲が米国で再ヒットした背景には以前にましてヘロインへの皆の関心の高まりがあったようです。(ちなみに安室のヒーロはオリンピックのイメージソングとして作られたにもかかわらずファンの中にはこれをヒロインと解釈して楽しんでいる人が多いようですが彼女のファンは女性とゲイの方々が多いようなのも面白い現象です)
ところで僕はSPRINGSTEENの2009年のWORKING ON THEDREAMの2LP仕様の中古品を購入したのはどうやらこのアルバムがファンの間で不評だったようで状態の良いものが破格値で売られていたからです。
実際にこれを聴いた僕の感想はボーカルの表現力が相当高くなり上手いと言えるものになっていたことです
ブルースも含めAMERICAN MUSICの良さを充分に伝えるもので感心してしまいました。
かれの最新作は22年のONLY THE STRONG SURVIVEですが老齢の為か声の魅力に陰りが現れておりその為かセールスは芳しくないようです。
とはいうものの彼のアルバムに関しては後期のものに関して未聴のものが多いのでこれから聴いていくことにしましょう。
二本松の像 - GREENWASH
2025/07/19 (Sat) 06:51:59
福島県二本松市で最近ブロンズ像が台座から切断され持ち去られた動画で知りました。以前ここで特に日本のパブリックアートについて触れたことがあるのですがそれは昔から僕がパブリックアートー特にブロンズ像の質の悪さを感じていてそれが近年になって日本贔屓のYOUBERが「日本のそれの質の悪さについてはよく知られていることだが」との注釈付きで観光地や路上のものを紹介していたこと、そして自身がその後海外のパブリックアートをネット上で観るにつけ自身の感覚に確信を持つことになったことです。
ブロンズというのは特に酸性雨などによる浸食が多くそのメンテナンスが不可欠で数カ月に一回の水による洗浄とワックス掛けが望ましいのですがそれが実施されていることは少なく、北浦和の現代美術館の前にある像が良くメンテされていてその美しさが実感できるものであることもここで書いたことです
さて盗難にあった像の写真からは僕に言わせればつまらない作品であることは他の多くのものと同様で盗んだものを販売するにせよ売主を探すことは不可能に近いことだと考えられるます。。
今回の盗難の動機というか目的は何なのでしょう?
この手の像の製作費用は自治体が中心に負担するのが通例ですがその製作者の多くが無名に近いことにも関わらず多額の予算が計上されその多くが過大請求により利益をむさぼる者達の温床となっていることが言われますがそのような批判は地方自治体や観光客の誘致という名目の前には太刀打ちできません。
ここで浮上するのが今回の持ち去りが再建により二匹目のドジョウを狙う者達が計画したものではないかという説です。像の一部が破壊されたというのはこの事件がイタズラ目的ではないことを示唆しており、損傷の回復費用は再建に比較したら僅かなものです。
これは二本松市民の意識の問題で話では地方の寄り合いは嫁さんの悪口ばかりだとも此処の人から聞きましたが。。
KANYE WEAST - GREENWASH
2025/07/17 (Thu) 03:40:58
カニエ ウエストの2024年の韓国のGOYANG STADIUMでのライブがYOUTUBEでフルで観れます。単独ライブではありませんが彼の韓国公演は2度目のことで日本ではSNSを中心にKPOPが落ち目などと言われているだけの裏ではこのような事が進行しています。
カニエは個人的に頻繁に日本を訪れており、寺が好きで自分の前世は天皇だとも語っている親日家なのですが度重なる東京ドームでの公演予告にもかかわらず実現しないのは彼の日本での認知度の低さの為でチケットを売り切るのが難しいという、これはGRATEFUL DEADが来日を果たせなかったことを僕に想い出せます。
以前彼とマッカートニー,リアナのFOUR FIVE SWECONDが小ヒットしましたが動画の3人がバラバラでそれぞれの世界に浸っているようだと感じた人が多かったようです。このコラボをカニエの日本での人気に火をつける為にポールの手を借りたものではと僕は考えたのですがその点では企画倒れということになります。
カニエはスポーツ用品メーカーからの収入も多く一時は黒人として米国第一位の資産家となりましたが彼は著作権を無視してサンプリングを行うことが多くその権利者からの訴訟が続いたこともあり勢いを失っていった感があるのですが彼の新譜が配信中心となってからの音楽面での人気に陰りがあるのは彼の音楽の扱いに変化あったからのようです。
彼の9枚のアルバムが米国チャート首位を獲得しており一応はHIPHOPアーティストとして分類されていますがその音楽は従来のそHIPHOPの枠を超えているものでメロディアスで多用されるコーラスはティーンエイジでも若い連中に語りかけるような内容のものになっており、その点ではマッカートニーが彼の作風を気に入ってのことではないかと思われるところです。
実は僕はカニエを身近にもっている米国のこの10代の連中は幸運だなと思っている人間のひとりです。
これは自意識過剰なシンガーライターの作品や応援ソング、人生謳歌、音楽マーケットへの忖度に満ちた歌ばかりが身近な存在となっている状況に比較してのことです。
フェンタニル - GREENWASH
2025/07/16 (Wed) 06:31:32
ドラッグに関する記事や動画に関しては他視的であることが殊の外要求されるのですがこの条件をある程度でも満たしていると思えるものはありません。
フェンタニルは第2次大戦中には開発済みで鎮痛剤として処方通りの扱いをすれば副作用も少ないので世界的に癌末期患者等に対して広く使用されているようです。 そういえばプリンスその誤用によって死に至った例です。
フェンタニルの近年の流行の原因についてはその製法が簡単で安価であるからのようですが、他のドラッグ同様に規制を受ける中でフェンタニルがその規制をうまく掻い潜ることが容易であり、その点ではトランプ大統領の持つ危機感は当然なこととして理解できるのですがそれが今回の中国に対する厳しい関税処置がどこまで有効なのかについては疑問が残ります。
フェンタニルによる米国での膨大な死者数についてはコロナ同様実態をつかむことが困難なことがあり、職を奪われた肉体労働者間での広まりを指摘する記事とむしろ白人のホワイトカラー層へのものがあります。
又覚醒剤同様その禁断症状についての記事はどれもドラッグに手をだすことへの警鐘に傾きすぎているうようで増して近年の治療法の進歩については触れようともしません。 これはドラッグ中毒が有害好物の摂取とは違って肉体を侵すものではなく人間の認知に作用するものでその痛みは例えば失った片手の痛みと同様なものでそこにはデヴィッドリンチの団体によるセラピーの存在理由があります。
ドラッグを語るには医療面だけでなく人間の認知に関する理解に合わせ経済など社会や歴史に関する理解も不可欠なところにこれらの分野の研究の成果自体も充分とは言えないので当然壁に突き当たることになります。 これはドラッグのもたらす中途半端な至福感が原因と僕は考えています。
しゃけ - GREENWASH
2025/07/16 (Wed) 05:45:35
シャケの好きなDONOVANファンも多くいると推測し参考になると思いますので書きます。僕は家庭環境の為サとシの区別はまだよいのですがヒとシについてはかなり困難で「親しく」などについては漢字変換の度に試行錯誤を繰り返すことになります。
ノルウェー産冷凍サーモンは数年前まではIKEAで良質のものが安価で購入可能だったのですがこの1.5年程は倍以上の価格なので買い控えです。スーパーや鮮魚専門店の生サーモンというのはそもそも偽装で遠洋で捕獲されるものは一旦すべて冷凍されるので解凍品というのが事実です。シャケに限らずすべての冷凍品は一旦解凍すると直ぐに鮮度が落ち又再冷凍するなどはもってのほかです。
旨いシャケを食べたいという欲求は強いのでその対応策として候補にあがるのが西京漬と浅塩ものです。
僕が利用しているのは大川水産ですが現時点ではチリ産の西京漬とロシア産の浅塩でえどちらも以前に比較して相当高騰していますが一切れの厚さが満足できるもので味も良いです。(一切れあたり300円―400円)特にこの店の西京漬けは焼き方さえ間違えなければ旨いのですが僕は電子レンジの焼き魚機能を使っているのですが厚みや解凍状態に差があるのでレンジに任せきりというのは避けたいところです。
又浅塩といってもかなり塩辛いのでそのまま食べるには抵抗を感じるところです。僕は一旦焼いたものをほぐしてホワイトソースに混ぜたり一旦冷やしたものにマヨネーズ、クリーチーズ、少量のメープルシロップ等を加えたものをトーストしたパンに挟むことで塩辛さが適度なものになるのですが朝食にアイスコーヒと食べるのは至福の体験となります。
鶏肉のブラジルやタイ産のものとは違いシャケに関しては少なくとも嫌な薬品臭は無く銀シャケに比較してやはり旨いなあと言う感想をもっています。
2PACとマキャベリ - GREENWASH
2025/07/10 (Thu) 11:27:00
7月7日の2PACS 追記に関して誤解された人もいるかと思ったこともあり彼とマキャベリについて書いてみます。
まずジャケのIN NO WAY IS THIS PORTRAIT AN EXPRESSION OF DISRESPECT FOR JESUS CHRIST - MAKAVELIというのは2PACが自身をステージでもMAKAVELIと名乗るようになったことでこの言葉も2PACからのものです。
自身をMAKAVELIになぞらえた彼の意図を探るにはその1995-96年という時代の黒人をめぐる状況を探るには現在の僕の知識には間違ったものがある可能性があるのと情報不足がそもそもあるので簡単なことではないようです。
些細で取り上げるには足らないことなのかもしれませんがこの30年間には黒人の白化現象の進行があります。これはBREAKFAST CLUBのホストの男の顔が幾分でも白くなったことで周囲の連中から美容術の賜物ではないかとからかわれたことで本人曰く「自然にこの様になった」とのことでこの現象で恐らくは黒人が直接太陽光に当たることが原因ではないかと言われています。
実際に真っ黒な黒人の数が減少したという報告もあります。一方で白人はそもそも黒い肌を有していたのが北方へ居住地を移すことにより白化しその時期は比較的新しい時代のこととする説があります。
現在の人種問題に関することでは夜に良い夢をみても朝に鏡の自身の姿を見て認識を新たにするというような内容の歌詞にしてもこれを以前はタブー視されていたような感覚が表面にでてきている意識変化とも解釈できます。BLACK IS BEAUITIFULという言葉が懐疑の眼に晒されていてもおかしくないことです。
30年近く前では特に夏場は米国内で黒人達による暴動発生が報告されましたが近年では減少というよりその姿を消したようでBALCK LIVES MATTERにしても白人警察官による射撃事件をマスコミが扇動しようとしたものがそもそもこの言葉に疑問を持った黒人達が白人視点のものであるということと実際に問題なのは黒人間の金やドラッグに関するトラブルや家庭内の問題が銃による殺傷事件に発展しそれが日常的なものであるということを自らの体験から承知している黒人達に拒絶されたことです。
どうやら一番の問題は昔ほどではなにせよ貧困にあるようです。
但し特に若年層による暴動等の発生の減少は何も黒人社会に限られたことではなく全世界的な傾向のようです
さて2PACは自身をジャケで磔刑となったキリストになぞらえていますがその相手をマキャベリを非難した人達と同様に捉えルソーらによるマキャベリ再評価をキリストの復活と関係づけているように思えますが彼への非難はその時代にあっても白人ではなく彼を批判したメディアだったのですがその批判については察するところがあるものの僕自身が眼に触れて判断したことはありません。当時のメデイァによる批判が彼がマキャベリと名乗らなければならないほどのものであったのか、あるいは彼が名声を上げる為の手段としてのことだったのかの判断は僕には出来かねることです。
ROYAl TO THE GAMEの詩にあるように具体的には彼が非難し続けるドラッグのディラー達の手により彼自身が生存の危機に瀕していたことは察せられるところです。
ただ大事なのはこれらの経緯とは別に彼の音楽そのものの質が他の者達のものから抜きでていることです。
彼は一つのトラックを最後まで歌い切る力を持っており結果として聴くものを飽きさせないのですが、その背後の編曲と演奏にも優れたものを感じさせます。
いつまでも気になるタンゴ - GREENWASH
2025/07/10 (Thu) 06:39:21
以前の書き込みに重複していることが多いですがタンゴをアピールしたい気持ちが強くあってのことです。
僕は年に一度ほどはアルゼンチンタンゴのレコートを引っ張りだし自分のこのジャンルの音楽への共鳴度というか理解の変化を確認することを楽しんでいるのですが何か着々と深まっているのを実感しています。
アルゼンチンタンゴは音楽のなかでも感情表現に特殊なものを有していると評価したのはバイオリニストのギドンクレーメルですが、政情の変化によりロシア大陸からこの地方へ移住した上流家庭の連中が成立に大きく関わっていることは疑いの無いことで大衆音楽というよりクラシックの室内楽の性格がありその理解には使用されている各楽器(ピアノ、バイオリン、バンドネオン等)のフレーズを見極めて聴くことが必須で鳴り響く全体的なイメージだけで聴くとどれも同じようなものに聴こえてくるだけの様です。
戦後の日本のタンゴブームを支える人達には自身そのダンスを習得することに熱心な人が多く自然とその音楽の本質を理解することになったということのようです。ちなみに現在でもダンス教室に通う人達によるとタンゴでもコンチネンタルタンゴとは違ってアルゼンチンのもののダンスの習得には困難を有するということです。
以前に触れたことですが、日本での異常とも思えるブームは60年代前半を中心に発売されたこのジャンルのレコードの豊富な内容と売上の高さで、これは特に数年前までの中古市場(主に店頭)での出品数の数と種類の豊富なことから伺えることです。僕の手元に数百枚のLPとEPレコードがあるというのも50枚くらいで数千円で購入できたからです。
前述のクレーメルですがピアソラの演奏を空港のTVで観て好きになってそうで、彼の多くの作品を彼自身が手掛けて大ヒットとなったのですが、所詮ピアソラはミロンガ奏者でクレーメルはバイオリン奏者なのでバイオリンを中心にして編曲された者が録音されたのですが僕自身はこれらの編曲がピアソラ音楽本来の魅力を減じていることに気付いたという体験があるのでアルゼンチンタンゴに関しては彼のオリジナル録音と幅広く50-60年代のもを聴くことをお勧めします。
また彼のオリジナル録音をそれなりの量を聞けば彼が一時的にも何故非難されたかということもよくわかるというのも面白いことです。
教師による性加害(2) - GREENWASH
2025/07/08 (Tue) 15:28:00
僕の卒業した大学では語学関係のクラスには教職課程を履修する者が多かったのですが実際に教職に就くものは少なく僕の女性の友人も教職課程を修めたのですが実際に教職に就いた僅かな連中について「本当に教師になって欲しいような人間ではない」とあっけらかんに語っていました。 安定した職種で他の職種ではやっていける自信が無いと自ら話す人も多くただ我慢して続ける人も多いようです。
教師は自身の担任した生徒達を場合によっては一年で
送り出してから改めて同内容の授業を行わなくてはならないというルーテイン地獄で僕の様に仕事で過去と同じようなプロジェクトを担当しなくてはならないというだけのことでもウンザリしてしまい、それが自身の精神的安定を考慮にいれた転職理由だった感覚の人間には教職というのは恐ろしい職業だと思ってきました。
恐らく実際にこの職に就いている人間にも多少の差こそあれその仕事を自身の精神を害するものとして感じることはあるはずで、教職者については本来色々な意味でこの若年層を好む人或いは次第に手近な対象として性的嗜好を移行することになった人達の人口に占める割合が高いということは想像できることです。
今回の調査で私立学校の75%が採用時に過去の幼年者に対する加害者としての逮捕歴の有無の確認を怠っていたことがわかりましたが、この確認が現職の教師に対しても行われていたのかということも疑問になるのですが、確認の未実施が故意的なものと考えるのは僕だけではないようです。
蓋を開けてみれば世の中こんなものだということですね。
教師による性加害(1) - GREENWASH
2025/07/08 (Tue) 14:31:57
小中学校では一部の教科が普段とは別の教室で行われることがありますがそれらの教室の備品や窓ガラスが特に選ばれた様に破壊されることがありました。
どうやら一部の校内生徒とこれに協力した他校生徒らによる行為であったようでちょっと問題とされる生徒がこの行為に加わっていたようですがその背景には当時の多少とも問題とされる生徒達は持て余した時間で他校の同族との交流があったようです。
これらの行為の犯人が特定されたのかについては曖昧なところで少なくともこれが原因で何らかの処分を受けた生徒はいませんでした。
この他に僕が眼にした一部の男女生徒達による特定教師への嫌がらせというものがあり例えばその教師の晴れの舞台となってもいい状況で故意にミスをしでかすなどのことがありました。
彼等をこの様な行為に駆り立てたものは一体何だったのでしょうか? どうやらこれは特定の教師による性加害が次第に複数の生徒間に認識されるようになったことでその教師への復讐としての彼等なりの行為だったようです。
僕自身友人がある教師に個別に面会された時に同行を頼まれたことは以前に書いたことです。
教師による生徒への性的加害行為は教師らのモラルが落ちて増加したからではなく昔からあったものが表面化しやすくなっただけのことで、被害者に同情する周囲の生徒達による語られることの無い復讐というのも数多くあったのではないかと僕は考えるものです。