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グルードの抗えない魅力 GREENWASH

2025/12/02 (Tue) 03:12:15

昨日はグールドのフランス組曲をLPで聴きましたが現代楽器と時代楽器を問わずこの組曲のベストだなあと思いました。一つの音に至るまで彼が納得したものを卓越した技術でこの様に披露されると少なくとも音楽が流れているいる間は彼の演奏に身を任せている自分があります。

前項で書いた通り僕には彼を嫌うところがあるのですがそれは彼の付属品で言葉を換えればレコード業界を含めた彼のメデイア像が気に入らないだけのようです

フランス組曲でも伺われる表情豊かな演奏を実現するために彼はそれなり工夫もしおているようで、それがあの低い椅子に腰かけての妙な演奏姿勢です。これは豊かな表現に欠かせない大きい音を得るためのもので低い手の位置からキーを打つことがこれに有効であることから彼が採用していた演奏方法です。
フランスを中心に活躍している内田光子は強音を得るために相当高い位置から手を振り落とすのですが、どうもこの方法が成功しているとは思えず、高い位置からの不安定な打鍵は濁った強音を生み出すだけで充分な強さも生み出せず結果として汚いと言って良い音を生み出しているだけなのは彼女の録音を聴いてのことです。

ところでグールドの特に若いときの人気には彼の容姿が貢献しているのは間違いないことですが50-60年代の男性アイドル達には共通する顔だちがありまるで一人の宇宙人が数人のアイドルに扮しているのではないかと思わせるところがあります。

ジェイムス デイーン、ジャック ブレルらは共にその奇行ぶりでも知られていますがロック界では時期は後になりますがジムモリソンの存在があります、面白いのは現在の欧米の若者にはジェイムスディーンの映画を観ても感情移入が難しい者が意外に多く好感とは裏腹に嫌な奴というイメージを抱く人が目立つような意識の変化があることです。

バッハ演奏 GREENWASH

2025/12/01 (Mon) 10:17:52

近頃はバッハのオルガン曲以外の鍵盤独奏曲を聴くことが多いのですが他の人たちが同じものをどの様に楽しんでいるのかを知るにはAMAZONの一般人からのレビューは僕には打って付けのものです。

そのレビューに引き合いに良く出されるのがグレングードなのですが、なにせ70年以上も前の彼の演奏に始まることなので誤解の生じる事もあるようです。
彼はゴルドベルグ変奏曲の演奏で一躍スターとなるのですがそのレコードは1955年に発売されたものでCDで難なく入手できるものですが、どうやらかなりの人達がが1981年の再録盤をそうとは知らず彼が注目を集めたものと勘違いしているようなのです。

81年のものは55年のものに比較してこれと言った新味が無いということでファンを中心に総スカンを食らったのですが幸いにもこれが彼の遺作となったため大きな難を逃れたという感があります。

どちらの録音にせよグールドはこの曲集に抒情的なものを持ち込み映画音楽のような親しみやすい演奏が50年代の特に若者達の心情に訴えるものがあったようです。実際のところはこれはゴールドベルグ変奏曲に傑出して伺われるところでそもそもこの曲集はそのような可能性を持ったものでその点では平均律曲集とは性格を異にしているようです。

一方エドウイン フィッシャーは1933-36年にかけて現代ピアノによる平均律の初の全曲録音を成し遂げていますがこれが決して学術的なものではなく聴くものに親近感を覚えさせるバッハであったのでそれなりの人気を博したのですが、これからは何もこの点においてグールドが先駆者というわけではないことが認識されることになります。

当時のグールドの人気は時代の風潮に合流したもので64年にはコンサートから退き録音に専念し著名な作曲家の全曲集を発表することになるのですがこれは近年のピアニストが一部の曲の録音で良しとする様な姿勢とは対照的な権威的な感覚が感じられるところです。
演奏中に発される歌とも言えないものは彼に限らずホロビッツなど昔の著名演奏家によくあることでグールドのそれさえも画期的な姿勢として有り難がる者が現れる始末でしたが、彼の死も時代を象徴するものでした。 心臓発作が直接の死因ですが彼は当時欧米で流行した大量のビタミン錠剤の摂取を健康法とし食物も満足に取らないという状況でした。

ただ現代のクラシック演奏家にもよくあることですがポピュラー音楽は好まなかったようで彼の自室を撮った写真にビルエバンスのレコードが映っておりこのことからグールドが彼のファンであるという話しがまことしやかに流れましたが、これに関しては彼自身そのレコードのバックの演奏に興味を持って聴いただけのことだと公言することになったのは興味深いところです。実際ジャズを含むポップスには好意を抱いても好きではないというのが彼らの心情のようです。

近年になって以前とは比較にならない量の歴史的なバッハ録音に接することが出来るようになって独奏鍵盤楽曲ひとつの演奏に関する見解も簡単に片づけることが難しくなってきました。

コリウス GREENWASH

2025/11/30 (Sun) 22:02:39

コリウスという名は知らなくてもほとんどの人は鉢植えのものを見ているはずです。 僕はこの一年草が好きでその理由は落葉の美しさを思わせるような豊かな色彩を身近に長い時間楽しめるからです。
園芸店で春に小さな苗木を彩りを考えて数本購入し、成長に合わせ大きな鉢に何度か植え替えをしてやると夏には60cm位の高さまで成長しますが寒さに弱く少なくとも日本では一年草扱いされているものです。

ときおり数色のものを寄せ植えさせたものが玄関先や喫茶店に背景色を考慮して飾られているのを見つけるとその美しさに魅入られるとともにコリウスをそこに飾った人のこの植物への愛着が感じられとても良い気分になるほどです。自分が山の燃えるような紅葉の様子より葉自体の彩りが好きなのだと改めて認識することにもなります。

鉢植えの基本と植え替えを面倒でも行ってやれば育てやすい植物なので来年の春にでもお試しあれ。

NEIL /VAN GREENWASH

2025/11/28 (Fri) 16:45:01

日本の親分の発言に関して中国からの核の使用等の脅しを懸念される向きがありますが、その場合はボスが文字通り腹を切って詫びを入れるとか、沖縄なら中国へ譲渡する考えがあると公言すればこれに一番脅威を感じる米国がためらうことなく日本に加担することは間違いないはずです。普段から本音が出せない国民に代わっての親分の発言なので多くの国民の精神衛生上好ましいこととも思えますが。

さて件名にある両名の新スタジオ録音については僕の意見を書かなかったのでここで改めて書きます。

NEILのバンドとして過去にCRAZY HORESEとPROMISE OF THE REALがありどちらも良い演奏を聴かせてきてくれましたがこのTALKING TO THE TREESはCHROME HEARTとの初スタジオ録音となります。どうも演奏に乱れもありこれが前作のCRAZY HORSEとのWORLD RECORDの演奏の素晴らしさとは対照的に思えるところです。

VANの新盤のバックの演奏は一部の―例えばジャケだけがいいIN THE GARDENの演奏がイマイチなのは除いてはDYLANのバック演奏同様に質の高いものが多くを占めているのですがここでの演奏はアレンジ共に低品質の感があります。録音上の音響効果も平凡なものなのが残念なところです。

SDGSの正体見たり GREENWASH

2025/11/28 (Fri) 15:22:30

僕はGREENASH以前にいくつかの投稿名を使用していましたがその中にANTI SDGSがありました。

本日のニュースではガソリン暫定税の廃止と前橋市長の辞職がそれぞれの議会で議員の全員賛成にて可決されました。 市長自身の申し出を受け付けずに懲戒免職などの方向を取ろうという声が無く、ガソリンに関心しては議員の中にはSDGSを擁護し環境保護の観点から法案に反対する議員が皆無というのも妙な話です。

撤廃により恩恵を最も受けるのは日本の自動車業界で国内での一般人の自動車離れに対する歯止めと日本車の売上の売上増が期待できるからですが、これ以上に恩恵を受けるのはガソリンの大口使用者である大企業で一般人への恩恵は僅かなものです。これは大企業向けの物価高への重要対策ということです。

また今回の満場一致の可決によりSDGSは頭の足りない者達へこの程度の運動を環境対策として考えさせてておけばよいという狙いから発案されたもので又SDGSに賛同しているというキャンペーンだけでその企業が安全圏で安閑としていられるというものであることが露見した一例ということになります。

僕自身は二酸化炭素と気候の因果関係については不十分かつ信憑性に欠けるデータしかないと判断している懐疑派で民主主義の機能性についても同様な考えをもっているのですが、この二つを擁護する人達は何も考えていないようにしか思えません。

YAHOO記事 GREENWASH

2025/11/28 (Fri) 11:04:09

本日の英国でのミルクセーキ税導入に冠するYAHOOニュースの記事ですがこれは一部の方もご存じのとおり欧州での砂糖を使用する商品に対し小売り段階で砂糖税を課すという従来からの健康被害対策に追随するものです。

僕がこの記事を取り上げるのはそこに資料として紹介されている国民一人当たりの砂糖摂取量のグラフ資料な現在の報道機関のいい加減さを象徴しているからです。 まず単位がグラム/日となっており米国人が120超で日本人は60弱となっているのですがこれはどう考えておかしく、単位か期間に間違いがあるようです。
まあこれは別として問題なのが単純に人間一人当たりの摂取量を比較するのは間違いで体重あたりの、それも年齢別の比較でないと判断上の間違いが出る恐れがあります。ここで成人の米国と日本人を比較すればその体重に倍近くの差があるとすれば60と120の違いは単なる体重差ということになりどちらも問題の重要性には変わりないという考えにもなります。

ちなみに充分な情報量を持ったAIならこの様な受け売り情報を吟味しての記事作りをするはずでその意味でも報道関係者の多くは役立たずで首にしてAMAZON配達員にでも転職した方がよいことになります。しかし僕が思うのは生成AIなどと言っても今の状況下ではそれが利用できる情報量とその処理能力には疑問があるということです

赤色トラウマ GREENWASH

2025/11/28 (Fri) 10:31:40

年齢を重ねてジジババになると紅葉の良さが理解できるようになるとはよく言われることですが、僕が紅葉の美しさを感じたのは善福寺公園で足元の枯れ葉の色数の多さに気付いてからのことです。

今はちょうど電車からの木々の美しさに圧倒されるのですが、これも特にモミジの赤色にというわけではなく常緑樹の緑系の色も含め黄色から深い茶色にいたるまでその多彩な色の組み合わせ(実際紫系もあります)に驚くからで例の燃えるようなと形容される赤はその一部でしかないように思われます。
英語の歌詞でもその様々に変化する色合いをたたえても特に日本語では紅葉とし赤色だけをとりたてることは無い様にも思われます。

どうやらここには赤及び赤と白の対象に関する思いれがあるようです。巫女装束、鳥居、日章旗、競い合う者を赤と白で区別すること、紅白饅頭に至るまで反射的にそのコントラストにいずまいを正してしまうというのはトラウマのようにも思われるところです。

一方でこれがわざわざ赤く着色させたウインナーソーセージや梅干しへの偏愛となるとトラウマどころではなく日本人のDNAにしっかりと組み込まれていることはほぼ確実なところです。

さて以前からVAN MORRISONのアルバムSENSE OF WONDERを僕が好むことを書いてきていますがこの曲で歌われる木々の色合いに関する表現はその音楽と音響効果もあって身震いしてしまうところです。

ここしばらく彼はスタンダードナンバーやジャズ、ブルースを片っ端から取り上げている感がありそれが果たしてうまくいっているのかと問われれば所詮は白人のボーカルの域を出ず残念に思っていたのですが彼の最新アルバムREMEMBERING NOWは彼本来のシンガーライターへの回帰がありHAVEN'T LOST MY SENSE OF WONDERと題されたトラックまであるのですが彼のその本気さ加減については自作にまで棚上げとしておきましょう。

嵐山の竹林 GREENWASH

2025/11/28 (Fri) 09:24:38

僕は昔週末になると京都へ通っていた時期がありましたが僕の目当てはあの町の交通量が多く又車の運転も東京に比較すると荒っぽい中にあっても感じられる静けさが好きなのと、たまたまそこで出会った人の中に僕にとっては好ましいと感じられる人が多かったからと和洋を問わず食べ物の味付けが好きだからです。

そもそも仏像の有難味が解らない人間でも修学旅行での印象と現在のものを比較してみたいという気持ちがあり三十三間堂へも行ってみたのですがやはり質より量という印象だけでした。
最近落書きで話題の嵐山の竹林ですがあれはTDLのアトラクション以外のものではありませんね。建物の中からの竹林の景観は地方の温泉地の大型ホテルのロビーからの眺めとおなじ俗物的な印象でちょっと赤面ものです。

上記の類のホテルですがその多くは大資本系の運営によるものですが高額な宿泊料金には全く見合わないサービス内容だけでなく和服姿の売○婦が隙あらばとホテルの廊下を闊歩するところも多いと言えるのは僕が海外からのビジネス関係者を案内し自身もそこで宿泊した経験が少なからずあるからです。 ルームサービスや売○婦にしてもホテル近在の者が片手間に行っていることが多くそれがサービスの質の悪さの原因となっているようですがここには特に観光地のシーズンオフの問題があります。僕が一番感じるのは洋室が少ないことと全体的にインテリアへの投資が圧倒的に低く魅力に乏しいことです。

それにしても極端な円高と疫病の流行でインバウンドが激減しない限り京都ならずとも都心へ出かけるのも気が進まなくなるとは思ってもみないことでした。

子音文物化の続き-鎌倉大仏を鳴らす GREENWASH

2025/11/24 (Mon) 04:33:10

11/15の「子音文化がもたらすもの」での日本の鐘の低音の共鳴に関する追記となりますが、僕が夢とも実際の記憶とも定まらない小さな和室で聴いたこの音は、僕が立ち上がっている状態で耳にしたもので消えたと思ったものが改めて漂っている印象は眼には見えない蛇が身をよじらせながら部屋の中を動き回っているような感じがしました。 

これに稲妻の光が重なれば蛇は竜に変身してもおかしくなく、そこで思い浮かぶのが日光の東照宮などで知られるの鳴き竜で静寂のなかで手をたたく音が天井に描かれた竜が鳴いているように共鳴するものです。大きな竜の絵が寺々の特に天井に描かれているのは面白い現象で、僕は小布施の寺の北斎が晩年小布施逗留中に描いたと言われている天井の竜を言われるままに遠慮なく畳の上に仰向けになって見たのが印象に残っています。

小布施には北斎美術館があり高額な絵の具代を賄えかつ自身が絵を描くことを嗜んだ藩主の手による偽作ではないかとも言われている数々の作品を見ながらその由来を自分なりに検証するというのは中々面白いものです。ちなみに美術館には北斎の手によるとされる装飾絵が施された祭りの山車まで陳列されています。

一人で行くなら問題はないのですが複数人となるとつい信憑性をめぐる会話をしたくなるものですが小布施には疑いを唱えるような状況には無いように思えるので気をつけないと袋叩きにされるかもしれません。。というのは冗談ですが慎みという行為について考えるにはもってこいの場所ですので是非訪れて見てください。

鐘に話を戻しますが日本の鐘に特有なのは乳という突起物がありますがその数が108あるというのは極稀なケースで実際その数はマチマチでどうやらこの乳がひとつ音の響きに関係しているようです。となると僕としては螺髪といわれる突起のある大仏の頭を思い切り叩いてみたくなる気持ちになるのですが。。

ところがこれを試そうと思ったのは僕だけでは無いようで確か中学で先生に引率され鎌倉の大仏を見学に行ったときのこと、大仏の中には階段があって内部を見学できるように当時はなっていたのですがこれに先立って先生から注意がありました。「石を持って中に入りそれを中で投げないように」という注意だったのですがその時の僕らは皆その注意の意味するところがわからず何か謎を掛けられたようで互いに顔を見あわせるばかりでした。皆さんはもうお判りでしょう。大仏の内側に石をぶつけてその音響を楽しもうとそれを実行する輩が既に少なからず居たということです。

昔日本に来た外国人数人がこの大仏のあちこちに登ってポーズをとっている写真がありますが、どうも鎌倉のは何か悪さをしてもらうのを待っているような雰囲気があります。それにしても今日のインバウンドの若者たちは大人し過ぎます。

バッハ 平均律クラビア曲集 GREENWASH

2025/11/21 (Fri) 14:57:10

僕がここでバッハについてほとんど触れない理由は彼の平均律クラビア集があるからでこの鍵盤曲集の前では彼の他の作品すべてが色あせたものに感じられるからでこれには勿論グールドによる恐らくはそのロマチスズムを感じさえる演奏の為かヒットとなったゴールドベルグ変奏曲も含めてのことです。

クラシックファンには例えばベート―ベンの第九一択ということでこの作品に限って演奏されたものを多量に収集する人がいますが、僕の場合はバッハの平均率がそれにあたります。全曲となるとLP5-6枚となることが多いのですが僕の手元には10以上のこの箱ものがあります。多くは2000年代初期に購入したものですべて中古品のLPBOXなのは少なくともこれに関してはCDより相当安価で美品がほとんどだったからです。
平均して2000円前後だったのでその時はすべてを叮嚀に聴かないまでも将来のリスニングの為に先行投資した感じです。またクラッシクの中古の箱もののLPは概して盤質が良いものなのですがこの曲集の場合にはその傾向が強いのは何を語っているのでしょうか?

ニ声から四声のものへと音の響きが曲集の中で複雑化していくことは作曲家の演奏家と聴衆への挑戦とも思われる節があることが彼の他の作品に比較して敷居の高さを感じさせるところがあるようですが、この作品集の音楽的な広大さには音楽ファンの心を長くつかむ魅力があります。僕自身、現在も時折これを引っ張りだしたり又ピエナールのものなど新しい演奏も楽しんでいるのですが、いまだにバッハの挑戦を受けているところです。

さてご存じない人のためにこの曲集のミステリーをご紹介しておきます。平均律というと全音階を単純に12等分したものをを頭に浮かべますがバッハの時代には数種類の平均律があり彼がどの平均律のことを指して言っているのか又は平均律ならどれでもというのかが不明なのです。 これは特に多声の作品となると調律により響きの変化による影響が大きくなるからです。
ついでに調律については僕らが親しんているのはピタゴラス正率でこれは共鳴を伴ったものであり、それを回避した純正率があるのですがこれについては実際にその違いを体験できる動画もあり、またこれが調律可能なギターなどにも応用できることは知っておいて損は無いことです。


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